奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録を読んで

木村秋則という人をご存知でしょうか。
木村さんはNHKの番組「プロフェッショナル」に出演し、大反響を起こした方です。

絶対に不可能といわれていたリンゴの無農薬栽培に挑戦し、壮絶な苦難の末、見事成功。
その自然栽培で美味しいリンゴは”奇跡のリンゴ”と呼ばれ、大変な人気となっています。

今回は、幻冬舎から出版されている”奇跡のリンゴ”についてご紹介したいと思います。

バカになれ

「自殺を考えてたっていう若い人からも電話あったな。
大学院まで出た人なんだけどもな。
親には学費やらなにやらでたくさん金を使わせてしまったそうだ。
だけど何をやっても駄目で、就職口もないし、家へも戻れない。
それで死ぬことを考えていたんだけど、あのテレビ見て思い直しました、やっと生きる気持ちが湧きましたとな」

彼の経験した苦労や挫折の大きさに比べたら、自分の悩みなんて悩みのうちにも入らないことがわかったと、若者はきっぱり言ったのだそうだ。
木村さんはそういう時、どんな話をするんですかと聞くとちょっと考え込んだ。

「……うん、とにかく思い直して良かったねえと言ったかな。
それから、バカになればいいんだよと言いました。
バカになるって、やってみればわかると思うけど、そんなに簡単なことではないんだよ。
だけどさ、死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。
同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。
ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ、とな」

あのテレビとは、NHKのプロフェッショナルのこと。
その放送を見た人から、木村さんのもとにも多くの反響が届いたそうです。

書籍にも詳しく書いてありますが、放送でも木村さんの苦労が紹介されました。
あまりにも無謀な挑戦で全く先が見えず、一人異質な取り組みに挑む木村さんに、周囲の眼も当然厳しくなります。
木村さんは自殺を考えてしまった事もあるそうです。

そんな木村さんの、「バカになれ」という言葉。
リンゴを心から愛し、どんな苦労をしても周囲には明るい笑顔を見せる木村さんの言葉が身にしみます。

人が生きていくために、経験や知識は欠かせない。何かをなすためには、経験や知識を積み重ねる必要がある。
だから経験や知識のない人を、世の中ではバカと言う。
けれど人が真に新しい何かに挑むとき、最大の壁になるのはしばしばその経験や知識なのだ。

木村はひとつ失敗をするたびに、ひとつの常識を捨てた。
一〇〇も一〇〇〇もの失敗を重ねて、ようやく自分が経験や知識など何の役にも立たない世界に挑んでいることを知った。
そうして初めて、無垢の心でリンゴの木を眺めることが出来るようになったのだ。

自然の不思議

タヌキの被害に悩まされた。
収穫間際になると、たっぷりと太ったトウモロコシが、ごっそり喰われてしまうのだ。

「それで畑のあっちこっちに、虎鋏をしかけた。
そしたら、仔ダヌキがかかったの。母親のタヌキがすぐ側にいてさ、私が近づいても逃げようとしないのな。
虎鋏をはずしてやろうと思って手を出したら、仔ダヌキは歯を剥いて暴れるわけだ。
可哀想だけど、長靴で頭を踏んづけて、虎鋏をはずして逃がしてやった。

ところが、逃げないのよ。
私の目の前で、母親が仔ダヌキの足、怪我したところを一所懸命舐めているのな。
その姿を見て、ずいぶん罪なことしたなあと思ったよ。
それで『もう食べに来るなよ』って、出来の悪いトウモロコシをまとめて畑の端に置いてきた。
トウモロコシ作ってると、私の歯っ欠けのようなトウモロコシが結構出来るのよ。
売り物にならない不良品だな。
それを全部置いてきた。

次の朝、畑に行ったら、ひとつ残らずなくなってた。
と同時に、タヌキの被害が何もなかったのな。
それで虎鋏をやめて、収穫するたびに歯っ欠けのトウモロコシを置いてくるようにした。
それからタヌキの被害がほとんどなくなった。
だから、人間がよ、全部を持っていくから被害を受けるんではないのかとな。
そんなこと考えました。

元々はタヌキの住処だったところを畑にしたんだからな。
餌なんかやったらタヌキが集まって来て、もっと悪戯するんではないかと思うところだけど、そうはならなかった。
不思議だなあと思った。
自然の不思議さに目を開かされたと言えばいいか、とにかく自然は人間の計画通りには動かないもんだと思ったの。
今考えてみれば、あの頃が、効率農業からの転換期だったかもしれないな」

木村さんがタヌキ被害に関するエピソードを語る場面です。
木村さんの奇跡のリンゴ栽培は、とにかく自然の状態に近づける事を目標としています。

こんなエピソードも載っていました。

「あのときは、リンゴの木にお願いして歩いていたの。
リンゴの木はどんどん弱り始めてました。おそらくは、根っこまで駄目になっていたんでしょう。

ちょっと幹を押しただけで、木がぐらぐら揺れるようになった。
これじゃ、枯れてしまうと思ってな。
リンゴの木を一本、一本回って、頭を下げて歩いた。『無理をさせてごめんなさい。花を咲かせなくても、実をならせなくてもいいから、どうか枯れないでちょうだい』と、リンゴの木に話しかけていました。

何をしたらいいのか、もうわからないんだよ。
家族にそんなことは言えないから、今まで通り畑の作業は続けていたけどな。
ほんとうは何にも出来ることがなくなって、あとはもうリンゴの木にお願いするしかなくなったわけだ。

周りの畑の人が見たら、木村はとうとう頭までおかしくなったと思っただろうな。
だけどな、今にして考えてみれば、あの頃の私がいちばん純粋であったと思う」

リンゴの自然栽培は、全力を尽くしたからといって結果が出る訳ではありません。
木村さんは心からリンゴの木に話しかけ、お願いしたそうです。

すると、話しかけた箇所のリンゴの木は枯れず、話しかけなかった場所のリンゴの木は枯れてしまったそうです。
ここでも自然の不思議さを感じます。

自然の不思議

明け方、畑に出ようとすると、玄関の前に米や味噌が置かれていることがあった。
おそらく実家の母親が、夜のうちにこっそり届けてくれたのだろう。実家とはほとんど没交渉だった。
木村が実家を訪ねても、玄関の鍵をかけて居留守を使うようになった。

農薬散布をやめることに、誰よりも強く反対していたのが実家の両親だった。
婿にやった息子が、木村家の生活を滅茶苦茶にしているのだ。木村の家の人々に申し訳が立たないと、母親は泣いた。
父親は顔を見るたびに意見をしたが、息子は聞く耳を持たなかった。
実家の両親としては、そんな息子との交わりを絶つしか、誠意の見せようがなかったのだろう。
それでも息子の身を案じて、こっそり米を運ぶのが親の情なのだ。

木村さんは奥さまの実家の畑で栽培を行っていました。
それなのに、はたから見ればよく分からない事に挑戦し、結果が出ずに貧しい暮らしをさせてしまっている訳ですから、木村さんのご両親は厳しくしたのでしょう。

しかし表では交わりを絶ったとしても、やはり心配なのが親心。
そして、畑を木村さんに任せたお義父さんも、木村さんに無農薬栽培を辞めろとは言わなかったそうです。
家族の支えがあったからこそ、奇跡のリンゴが誕生したのだと思います。


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