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孤独は消せる。吉藤健太朗著の内容要約|口コミ感想レビュー|オススメの1冊

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OriHimeというロボットをご存知でしょうか。
大体ロボットというと、人の言葉を話したり人の手伝いをしたり、”人とロボットのコミュニケーション”ですよね。

でもOriHimeは、”人と人のコミュニケーション”の為のロボットです。

OriHimeにはカメラやマイク・スピーカーが搭載されていて、離れた場所にいる人とコミュニケーションを取る事が出来ます。
そんな素晴らしいロボットの開発者が、吉藤健太朗さん。

今回はその吉藤さんの「孤独」は消せる。という本が素晴らしかったので、是非多くの人に読んで欲しいと思い、本の概要をご紹介してお勧めしていきたいと思います。

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孤独だった学生時代

吉藤さんは昔からものづくりが好きで、小学校時代も自作のおもちゃのおかげでクラスでも人気だったそうです。
しかし、小学5年生の時から、学校に行きにくくなってしまいます。

3年半のひきこもりの始まりは些細なことだった。小学校5年生にもなるとクラスメイトたちは精神的に成長を始め、私がつくる工作に興味が向けられなくなった。と同時に、勉強も宿題もせず、精神年齢が幼く、好きなことしかしていない私は少しずつ孤立していった。
また同時期、大好きだった祖父が病気で亡くなったことのショックや、体調を崩して入院したことなどが重なり、学校を休む機会が多くなっていた。

しばらく行っていないと顔を出しにくく、学校や教室がとても遠い、怖いところになってしまった。普段、本当に体調が悪いのだが、元気なときに学校ではいたずらなどをしているものだから、クラスメイトにはずる休みだとか、仮病だとか言われ、両親や担任は必死になって私を部屋から引っ張り出そうとし、無理やり学校に連れて行こうとする。それがあまりにも苦痛で、朝になって腹痛で起きられなくなり、体調も精神状態も悪化させてしまっていた。元気なときに元気にしていると、普段はやっぱり仮病だったのかと言われるので、笑ったり、はしゃいだりしなくなっていく。

(略)

不登校の時代、とにかく感じたのは孤独感だった。
同じ小学校で不登校だったのは私しかいなかったこともあり、人と違うということも自覚した。中学に入ってからはさらに状態が悪化した。どうして人に嫌われてしまうのか、身体の痛みを理解してもらえないのかがわからない。

他の人より勉強も心の成長も大きく遅れているという劣等感。誰かに会うたび、将来このままでは良くないぞと脅され、疲弊した家族の顔を見るたびに襲われる焦燥感。家からも出られず、身体も弱く、私には何もない、何も求められていないという無力感そういったものがぐるぐるととぐろを巻き、人と会うと、つい自分と比べて余計ネガティブになってしまうから、ますます人を遠ざけてしまう。一番ひどいときは天井を見続ける毎日が続いた。

なんとか学校へ行ける日もあったし、中学入学後しばらくは環境が変わったこともあって頻繁に通えたが、休みが多い生徒=変人として目をつけられ、いじめの対象になってしまったことで、また通わなくなっていった。
学校に行けたとしても教室でよく体調を崩し、保健室で横になる始末。布団を頭までかぶり、横になるとだいぶ楽になる。だが偶然にも父親が同じ中学校の先生でもあったので、保健室にいると父親が現れ、教室へ行けと言われる。熱血派の教師である父にとっても、実の息子が同じ学校で不登校というのは非常にやりにくかったに違いない。

このときの心境としては、〝すべてが辛い〟である。すべてとは、厳しくされることも辛く、優しくされることも辛く、何かしてもらうことも申し訳なくて辛く、1人でいることも辛いのである。

1日何もせず、劣等感、焦燥感、無力感にさいなまれながらただ天井を見つめ、時計の針の音を聞く。
生きていること自体が迷惑なのではないかという最悪の考えにもなってしまっていたそうです。

この時強烈に味わった孤独感が、後のOriHime開発へ繋がることになります。

OriHimeの開発

吉藤さんはお母さんの勧めで、地元で開催されたロボットコンテストに出場します。
結果は見事、優勝。

その後2つのコンテストに出場するも、こちらは受賞を逃します。
翌年の夏、大阪で「ロボフェスタ関西2001」というロボットフェアでも大会に出場し、結果は準優勝でしたが、ここで大きな出会いがありました。

会場内を見ていると、大きなロボットが一輪車を漕いでいます。
作者は、奈良県立王寺工業高校の先生でした。

”この先生に弟子入りすれば、もっと凄いロボットが作れるかもしれない”
そう思った吉藤さんは、苦手だった勉強を頑張り、見事王寺工業高校に合格します。

高校に入学した吉藤さんはある時、養護学校のボランティアに参加しました。
車椅子を押してみると、わずかな段差も超えられないなど、想像以上に不便であることに気付きます。
その事がきっかけで、吉藤さんは理想の車椅子づくりに着手します。

先生や仲間と作り上げた車椅子はWanderと名付けられ、車椅子が傾いても水平を保つ機能などが備えられていました。
突起によって段差を登る事が出来るようにするなどその後も改良を重ね、その車椅子でJSECという科学コンテストに出場する事になります。

先生の厳しい指導でプレゼンを何度も練習するなどし、見事優勝。
優勝の特典として、科学のオリンピックと呼ばれる「Intel ISEF」というアメリカ開催の世界大会に出場することになります。
そしてこの大会でも入賞という快挙を成し遂げます。
しかし他の出場者との交流の際、
「俺の研究は、人生そのものさ」
「俺はこの研究をするためにこの世に生を享けて、そして死ぬ瞬間まで研究する予定だ」
という言葉を聞いて、自分は本当は何がしたいんだろうと悩みます。

日本に帰り、様々なメディアに紹介される中で、「こんな車椅子は作れないか?」という相談も舞い込むようになります。

高齢者の話を多く聴いたり、インタビューしたりしているうちにわかったのは、多くの人が「孤独」を感じているということだった。
耳が遠くなった人の悩みは、音が聞こえないことそのものではなくて、娘の声が聞き取れなくてコミュニケーションがうまくいかないことだったし、足が不自由な人も、他の人様に迷惑をかけたくないからあまり家から出なくなったということだった。
息子の家庭に迷惑をかけたくないから、一人暮らしで寂しくても電話をしない人の話も聴いた。

周囲に申し訳ない、迷惑をかけたくないから我慢をする。その結果、孤独状態になっている。
私も不登校のあいだ、人に「ありがとう」と言うことが苦痛になったときがあった。「ありがとう」は人に何かをしてもらったときに言う言葉だ。ただ、自分は何もできないくせに他人にお願いばかりをして、はじめは優しかった人も少しずつ離れていってしまう状態を経験し、「自分なんかいないほうが皆は幸せなんじゃないか」と徐々に最悪の思考に陥っていったのだ。
ひきこもりで居場所がなく、自分を肯定できない状態は、本当に悪夢の経験だった。耐えられずに叫ぶこともあったし、自信もなく、無気力で、記憶力も低下して一時は日本語をうまく聞き取れなくなったことすらあった。

「孤独」に苦しんでいるのは私だけではなく、多くの人がこの精神的ストレスに苦しめられている。
これから独居高齢者も増えるだろうし、入院している子どもたちもたくさんいる。
「孤独」のストレスは人を狂わせる。うつ病や認知症の原因になると言われているが、私はその可能性は大いにあると実体験から思う。
本人だけではなく、家族や周囲の人にも大きな苦しみとなっていくだろう。

「孤独」を解消することに、私は残りの人生をすべて使おう。

あと何年生きられるか、研究ができるかはわからないが、世界大会で出会った高校生がそうであったように、「私は孤独を解消するために生まれてきた」と言えるようになろうと、このとき誓った。

人生のビジョンが定まった吉藤さんですが、すぐに良い方向に進んだ訳ではありませんでした。
人工知能や映画など、やりたいことに色々手を出してみますが、中途半端に終わります。

詫間電波工業高等専門学校に編入後、1人黙々と人工知能の研究を続けますが、ロボットが人を癒やすという事に違和感を感じ、”人と人をつなぐ新しい方法を考える”べきだと、高専を1年足らずで中退、JSECでの縁もあって早稲田大学へ入学します。

”人と人のあいだに癒やしはある”という吉藤さんですが、コミュニケーションは大の苦手。
そこでSNSでの友人作りや、サークルへの積極的な参加、キャンプ補助員などに励みます。
様々な出会いと試行錯誤の中で人付き合いへの苦手意識を克服。

大学3年生になり、吉藤さんはロボット開発を始めます。

コンセプトは「心の車椅子」。車椅子を使っても、距離が遠かったり病気などで身体を運ぶことができなかったりする人が、本当にそこに行っているような感覚を味わえるようにするにはどうすればいいのか。3年半の不登校時代に自分がほしかったものは何かを考え、もうひとつの身体、「分身」をつくることを考えた。

(略)

本当は半年でつくる予定だったが、結局完成したのは、私と同期だった学生らが卒業の年を迎える4年目(2010年)の夏だった。完成した時期と、私自身の愛称「オリィ」と、「離れた会いたい人に会えるように」というコンセプトから、完成したロボットを「OriHime」と名づけた。

その後志を共にする仲間と出会い、OriHimeの商品化に繋がっていったのです。

OriHimeの可能性

OriHimeは、人間のようなフォルムをしています。
映像と音声を共有するだけならスマホやテレビ電話でも出来るのでは?という事を考えてしまいますが、全く違うものです。
存在を認識される、という事が重要だと吉藤さんは語っています。

またOriHimeは頷いたり、手を自在に動かす事もできます。
これによって身体的なコミュニケーションも生まれるのです。

これまで人類は、足、車、飛行機などを使い、何時間もかけて自分を運んできた。
しかし身体の移動のことを一旦置いておけば、精神や存在は瞬間移動させることができる。
分身ロボットで、自分が「そこに行っている」という感覚と、周囲の人も「そこに来ている」という感覚がつくれれば、それは「行った」と言えるのではないだろうか。

実際、OriHime利用者の中の多くが、「一緒にいた」という記憶や思い出が残っている、と回答している。
その人がそこへ「行った」という事実があれば、身体を物理的に運んだかどうかは重要ではなくなる。
世界あちこちに分身を設置すれば瞬間移動が可能になる。オリィ式「どこでもドア」システムだ。
離れた1人暮らしのお母さんの家に毎日15分だけ遊びに通ったり、海外旅行の下見ができたり、勉強のやる気がでた瞬間に優秀な家庭教師をすぐに呼べたり、留学してその国の文化や問題を体験することが可能になるだろう。

どんな使い方があるか

OriHimeの使い方は、本当に無限大だと思います。
例えば病気や怪我で入院していても、学校に行ったり、職場に顔を出す事も出来ます。
無菌室で友だちと遊ぶ事が出来ない子どもが、家で家族とテレビを観たり、友だちと遊ぶ事も出来るのです。

また家で子育てをしながら在宅テレワークをしたり、色々な事情で行けない旅行や結婚式などにピンポイントで参加する事も、不登校の子がOriHimeなら登校出来るという事もあるでしょう。

世の中には、事故や病気によって身体が一切動かせない方もいます。
そういった方の為、吉藤さんは視線の動きで文字入力などが出来る装置も開発しています。
この視線入力装置とOriHimeがあれば、家族や友人ともっとコミュニケーションをとったり、仕事をする事も出来ます。

これまで、「分身ロボットOriHime」の活動を通して、様々な患者さんと出会ってきた。
そのうちの何人かは既に鬼籍に入られているが、私は彼らと「生きるとは何でしょうか?」とよく語り合ってきた。
普通ではあまり話さないテーマかもしれないが、私が天井を見つめながら考え続けていたことがあるように、彼らの多くもそれを考えていた。

そして、それを集約するとこうだ。
「生きるとは、人の役に立つこと」

人に与えられてばかりで、いつもお礼を言う生活。
自分では何もできないのに、大切な人の手を借りることで、生きることができると思ってしまう苦しみ。
返せない恩を受け、借りをつくってしまう苦しさ、他人の顔を観察し、わがままを言って嫌な顔をされたら〝何もない自分〟がどうやって挽回すればいいのか、どうやって謝ったらいいのか、どうやったら自分を嫌わずにすむのだろうかと悩む。
この苦しみは、体験したことのある人にしか理解はできない。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
吉藤さんはTwitterで、この本の印税は全部開発や教育に投資するとおっしゃっています。
本当に素晴らしい1冊ですので、是非読んでみて下さい。

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