「日本人の死生観」立川昭二著の内容要約|いかに生き、死ぬべきか|感想レビュー

日本の歴史学者・病理史学者である立川昭二氏が書かかれた本が、「日本人の死生観」です。

先人たちの生き方・そして死に方から日本人の死生観を探った本で、とても面白かったのでご紹介したいと思います。


◯「日本人の死生観」に登場する先人
西行
鴨長明
吉田兼好
松尾芭蕉
井原西鶴
近松門左衛門
貝原益軒
神沢杜口
千代女
小林一茶
滝沢馬琴
良寛

西行の死生観

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武士・僧侶の西行。
歌人としても有名です。
西行の有名な短歌に、下記の歌があります。

ねがはくは花のもとにて春死なむ
その如月の望月のころ

この本でも西行のこの歌から、日本人の死生観を考察しています。
その中で、上田三四二さんの著作も紹介されています。

医者で歌人であった上田三四二は、死線を彷徨した体験をもとに西行を論じた一文で、次のように語っている(「この世この生」)。

「死の瞬間における死」を歌った「願はくは」の一首は、死への憬れを語っているのではない。
死をも輝かしいものとする月と花ーこの現世の景物でありながら現世のものともおもわれぬ感動を呼びおこすもの、それに対うとあやしい浮遊感につれてゆかれ、陶酔に誘われるもの、美感としか名づけようがないために仮にそう言っておくが、人のこころを至美、至純、至極の境にむかって押しあげ、昇りつめさせるもの、そしてそこでは時間が空虚ではなく充ちており、充ちることによって時間を忘れさせるもの、そういう蠱惑の源としての月と花への憬れを、語っているのである。

吉田兼好の死生観

鎌倉時代末期から南北朝時代を生きた吉田兼好(よしだけんこう)。
歌人や随筆家としても活躍していました。
その吉田兼好の、人生訓。

兼好はまず「諸縁を放下すべき(すべてのかかわりを捨てるべき)」である、と宣言する。

「人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙し難きに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。
日暮れ、塗遠し。吾が生既に蹉跎たり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。(第百十二段)」

そして兼好は、来世ではなく今この時が大事だと考えていたようです。

死後の世界(来世、あの世)による救済を考えない兼好には、生(現世、この世)を厭うという考えはない。
むしろ「生を愛すべし」と強く語りかける。

「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危く他の財を貪るには、志満つ事なし。(第九十三段)」

今を楽しむ

日本人には、今を楽しむという人生観もあると思います。
例えば杉田玄白も、こんな歌を残しています。

過ぎし世もくる世も同じ夢なれば けふの今こそ楽しかりけれ

そして「日本人の死生観」の中でも、浅井了意の言葉を引きながら日本人の”浮世”観を紹介しています。

中世まではこの世は「憂世」であったが、江戸になってこの世は「浮世」になった。この江戸の「浮世」観を、浅井了意は「浮世物語」の出だしで、世の中の事はなに一つ自分の思うようにいかないから浮世というのかという問いに、いやその意味ではないと断り、次のように答えている。

「世に住めば、なにはにつけて善悪を見聞く事、皆面白く、一寸先は闇なり。なんの糸瓜の皮、思ひ置きは腹の病、当座々にやらして、月・雪・花・紅葉にうち向ひ、歌を歌ひ、酒を飲み、浮に浮いて慰み、手前の摺切も苦にならず、沈み入らぬ心立の水に流るる瓢箪の如くなる、これを浮世と名づくるなり…」

一寸先は闇だから、何事もその場その場で片付けて、月や花を楽しみ、歌を歌い、酒を飲み、手前(家計)が無一文になっても苦にならず、深く思いこまない心立(心意気)で屈託なくスイスイと世の中を生きていく、これを浮世と名づける、というのである。「浮き浮いて」「水に流るる瓢箪」という言い方に、浮世とはこの世の流れに浮きながら生きていく意がよく表現されている。

武士道

日本人の死生観の一つに、武士道精神があると思います。
武士道といえば、山本常朝の言葉も有名です。

山本常朝の「葉隠」に次の名高いことばを見るのである。

武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つの場(いずれかという場合)にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に子細なし。胸すわつて進むなり。

「葉隠」はまた、「武士道は死狂ひなり。…本気(正気)にては大業はならず。気違ひになり死狂ひするまでなり」とも言っている。
武士は死ぬのが目的ではない。武士はすでに死んだ人間であるごとくに生きているのでなければならない。「毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る」、これが武士の最優先の徳目であると説く。
死とのこれほどの親密さーー、泰平な世であればこそ、失われた生の証しを死の側から求めようとしたのであろうか。

意志的な死

例えば忠臣蔵の物語や切腹、情死や心中など、日本人に好まれている物語には悲劇的な死が描かれているものも多いです。
その意志的な死についても、続けて考察されています。

その「葉隠」に、私たちは次のような愛のことばに出会うのである。

恋の至極は忍恋と見立て候。逢ひてからは恋のたけが低し、一生偲んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。

いかめしい武士の顔の裏にこのような優しさが秘められていたのである。「思ひ死」とは、思い焦がれて死ぬことであるが、言い換えれば愛による「意志的な死」といえる。
卓抜な日本文化論であるモーリス・パンゲの「自死の日本史」で、愛と死をめぐって、パンゲは藤本箕山「色道大鏡」にふれ、「愛の証しのなかで、<意志的な死>がもっとも確かな証しであり、それだけは一切の疑念を永遠に消し去ることのできる唯一の証しであることを、愛のために死ぬのだから二人は本当に愛し合っていたのだということを、彼(箕山)はよく知っていた」とし、治兵衛と小春の愛による「意志的な死」mors voluntariaについて、次のように語っている。

死を賭けて、すべての人に逆らって愛し合う者たちは、儒教のようなこの世に生きるためにしか役立たない道徳から眼をそむける。彼らの心のなかには来世の幻想が広がる。そこに彼らは、罪を恕され、「同じひとつの蓮のうえに結ばれて」生まれかわるだろう。阿弥陀仏の恩寵、観音菩薩の慈悲に彼らは自分たちの愛を溶かしあう。死と夜の闇に身を委ね、この世の地平がもはや限ることのない愛の夜明けに彼らは目覚めるのである。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
日本人の死生観について体系的にまとめられている、この一冊。
是非一度読んでみて下さいね。



日本人は生と死をどのように考えてきたか。花の下にて死にたいと願った西行から、その時をやすらいの境地で待ち望んだ良寛まで、日本人の死生観を代表的な古典の中にたどり12人の先人達の生き方死に方を学ぶ。
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